オカサンと俺は、刺激し合った。
与えず、貰わず、会うたびに刺激してた。
それは、ちっこいガキの頃から。
幼稚園の帰り道が同じで、オカサンの家までの途中の長屋に俺は住んでいた。
「バッハッハーイ」と、一旦別れて、又、夕暮れまで遊ぶ毎日だった。
今の「月の庭」、岡田屋本店の裏は小さな森みたいで、そこでもよく遊んだ。
当時、近くのうっとうしいガキがいて、たまに遊びに来た。
母親が「悪いことしたら なぐったって」と言って帰った。
すぐにオカサンが一発なぐった。
「なんでや」と聞くと「今までの分や」と言った。
二人で大笑いした。
小学2年の夏、西小学校にもプールが出来た。
「大きい方のプール」で25m泳ぎきったのは、やんちゃな山下、
健康優良児のヨッチャン、それにオカサンと俺だった。
俺たちは青い帽子、他のやつらは黄色い帽子だった。
小学校の高学年になると、オカサンはよく生徒会に立候補していた。
その頃から大勢の人の前でしゃべることは平気だったみたいだ。
「僕が受かったら、夏休みを倍にして宿題をなくします」
と、バカな事を言ってた。
俺は、選挙ポスターを作ったり、応援演説を担当した。
オカサンは今の政治家みたいに、校内をまわって
「よろしく」と下級生に握手をしていた。
中学に入って、友達はどんどん増えた。
オカサンは東小学校のやつらとも、すぐに仲良くなっていた。
中学でもオカサンは生徒会に立候補した。しかも2年で。
「亀中を変えます」
と、またバカな事を言ってた。
俺は又、応援演説をやらされた。
中3になって「お昼の放送を乗っ取ろうぜ」と2人で盛り上がり
オカサンが放送委員に掛け合い、時間をもらった。
ロックをかけまくったら、先生に注意された。俺は降りた。
オカサンは続けたが、その内、先生のリクエストが多くなり
ビートルズと映画音楽ばかりになってしまった。
それでも、映画好きだったオカサンは、根気よくやってた。
その頃僕はシズオさんと出会い、バンドを組んだ。